十二番野坂寺から一五番少林寺に行ってきました。
秩父市街の中心部です。
十二番野坂寺は山門のところで足が止まりました。
山門の表には閻魔大王、中には風神・雷神・雨神等の木像が並び、
怖い(恐れ多い)そんな感覚になりました。それと全て木像なんですね。
それ以上に怖い(恐れ多い)と感じるのは別棟の十三仏尊像
別棟の中の空気感も含めこれは必見です。
十三番慈眼寺は札所の中でも特に市民に溶け込んでいるお寺です。
7月の“あめ薬師”と呼ばれる縁日があるので我が家でも毎年その日は行きます。
目の健康にご利益があるといわれており、以前母が緑内障の疑いがあったときに
あめを買って帰った思い出があります。
効くかどうかは別として、信仰は心の問題です。
十四番今宮坊は我が家から距離的に一番近くにあります。
かつては修験道の本山として有名な聖護院の直末寺であったそうです。
近くに縁起の良い今宮神社があります。江戸時代、今宮坊は当観音堂と今宮神社を
管理していたそうですが、明治初年の神仏分離令と修験道廃止によって、今宮神社
と分離されたようです。
これまでの札所とは違う印象の本堂を持つ十五番少林寺、明治11年の秩父大火の後、
防火に力を入れて洋風の建築方法を取り入れており漆喰塗籠(しっくいぬりごめ)、
土蔵作りだそうです。
お寺は普通木造ですから茶色いイメージですが、ここは白黒です。
ここには秩父事件で殉職された巡査のお墓があります。
秩父事件とは、明治17年、生糸相場の大暴落や繭の不出来によって現金収入が
断たれた農民たちが武装蜂起し高利貸しなどを襲撃した事件です。
殉職された青木与市巡査について調べました。
彼は一時、困民党の捕虜となりますが、甲大隊長・新井周三郎の書記として従軍します。
しかし蜂起4日目の11月4日には 大淵村の長楽寺で彼は隙を見て甲大隊長・新井周三郎
を背後から斬りつけ、瀕死の重傷を負わせます。青木巡査は困民党に斬殺されますが
これがきっかけで困民党は大混乱になり、秩父困民党指導部は事実上崩壊、鎮圧と
なります。巡査享年34歳。
ちなみに隊長新井周三郎は教員であり、剣の達人です。驚いたのが事件当時20歳。
貧困層ではなく、民衆の困窮を傍観できずに困民党に参加した方だそうです。
大火に農民の蜂起、いかに大変な時代であったかがわかります。
一代技術士事務所 鈴木
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